『万事、機嫌良く』をモットーに、良好な人間関係と未来を築く(1/2)
2024年9月8日
執筆者: 山内豊也

初めまして。
私は「ぽえむ」というコーヒーチェーンを主に展開しております株式会社日本珈琲販売共同機構の山内と申します。
この度は、寄稿の機会をいただきありがとうございます。

私は珈琲という文化を通じて、自社運営だけでなく、近年は特別支援学校でカフェの文化を伝えております。
皆様へ有意義な情報をご提供したいと悩みましたが、「飲食の戦士」でのインタビュー記事を中心に、私たち「ぽえむ」と私のことを知っていただければ幸いと存じます。(掲載許可済みです)

よろしければ今回は”決心&挫折編”をご覧ください。

社長失格からリターンマッチで返り咲いた男。

東京都杉並区阿佐ヶ谷を舞台とする漫画『若者たち』(2007年映画上映)。この物語で主人公たちのたまり場として、たびたび登場するのが『ぽえむ』という名の喫茶店。
この喫茶店を開業したのは、現代表取締役社長・山内豊也氏(以下、豊也氏)の父、山内豊之氏(以下、豊之氏)。豊也氏は、二代目社長として父亡き後、27歳で社長に就任したが「ダメ出し」をくらい、一旦は身を引き、6年後、リターンマッチで返り咲いた。
ここにいたるまでの豊也氏の51年にわたる人生と顛末は、おいおい語るとして、まずは、『ぽえむ』を運営するにいたった父・豊之氏の足跡から始めることにする。

武家の末裔、父・豊之氏。喫茶店経営に乗り出す。

日本珈琲販売共同機構の母体は、1966年に豊也氏の父・豊之氏が東京都杉並区にコーヒー専門店『ぽえむ阿佐ヶ谷店』を開業したことがスタートだ。
「父は高知県の出身で、土佐藩十五代藩主・山内容堂の分家にあたります。いわば“武家”の出ですね。代々、理系の学者や教員など教育関係に携わった家柄ですが、父だけが“突然変異”とでもいうのか、独自の道を歩んだ人でした。シナリオライターになりたかったそうですよ」。
父・豊之氏は、大阪と高知両県の大学で学び放送研究会に所属したこともあり卒業後、シナリオライターを目指し上京。とは言え、即、シナリオライターとしての仕事があったようではなかったようだ。
「収入を得るためもあったのか、下高井戸の喫茶店にマネージャーとして勤めていました。それが上手くいったみたいで、“自分で喫茶店をやってみよう”と思ったのが発端のようです。父が30歳くらいのときだったと思います。父には父なりに東京で一旗揚げる、という意気込みがあったのかもしれませんね」と豊也氏。
ちなみに、この下高井戸の店時代に見初め結婚したのが、10歳年下の母・本子さんだ。

フランチャイズ黎明期。次の時代を見据えた父の決断。

「先ほども言いましたが、1966年、東京都杉並区に父が母と『ぽえむ阿佐ヶ谷店』を開業したのは父が30歳のときでした。7坪ほどの小さなお店でした。経営が軌道に乗ったこともあり4年後の1970年『ぽえむ下高井戸店』を出店しました」。
「創業当時、フランチャイズ黎明期とでもいうのでしょうか、現在のような明確なフランチャイズ展開というのは形作られていなかった時代でした。ただ父は、“アメリカで拡大しているフランチャイズ・ビジネスが早晩、日本に上陸するだろう”という自分なりの考えというか確信があったようです」。
「創業は1966年ですが、1971年に日本珈琲販売共同機構を設立しましたが、これは“フランチャイズ”展開を睨んだものでした」。
ただ設立には、単に“フランチャイズ”の店舗数を“量的”に拡大させるのではなく、“質”も備えた“フランチャイズ”という明確な理念と思想があった。
「父には『日本に本物のレギュラーコーヒーを広めよう』という意気込み、思想が底流にありましたので、当時の業界の常識を覆すような事ばかりを進めていました。ですから“フランチャイズ”展開を進めるにあたって誰でもいいのではなく、こうした思想を共有できる方がいいと考えていました」。
つまり思想を結実させるには、“志”を同じくする、言い換えるなら“同志”たちと意識を共有することが成功に繋がるという確信があったからだと豊也氏は、父・豊之氏の決断を語る。
こうして始まった『ぽえむ』は、豊之氏の考えに共感したオーナーによるフランチャイズ店が拡大、1975年頃には50店舗、豊也氏が小学生の頃には、最大で80店舗ほどにまで広がった。
『日本に本物のレギュラーコーヒーを広めよう』という“思想と志”を貫いてきた父・豊之氏が52歳のとき他界した。豊也氏が中学3年生、15歳のときだった。その当時、FC店が70店舗ほどあったという。
人それぞれ、各人各様に人生の“転機”がある。豊也氏にとって父の死は最初に訪れた最初の“転機”になった。

“頭でっかち”だった少年が会社を継ごうと決心した日。

さて、現在、父・豊之氏の意思を継ぎ社長を務める豊也氏は、豊也氏は、1971年、東京都世田谷区で父・豊之氏と母・本子さんの長男として生まれた。3歳下に弟が一人、4人家族で育つ。

「振り返ってみれば、“内向的で頭でっかち”の子どもでしたね」と豊也氏は振り返る。
“頭でっかち”という言葉は二通りの意味がある。一つは文字通り“頭のサイズ”が大きいこと。もう一つは、知識が豊富で賢いけれど行動が伴わなかったりする人を指し、ネガティブなニュアンスで使われることが多い言葉だ。そんな“頭でっかち”少年だったが、進学塾に通い始め、そこで知り合い、仲良くなった友人もでき、勉強が好きになったと語る。
小学校を卒業して、いわゆる世間では進学校と称される中高一貫の麻布中学へ進学した。
「カルチャーショックとでもいうのでしょうか、学力レベルの高さに驚かされましたね。次元が違う子たちがイッパイいました」。
中高一貫の有名進学校に進んだものの、将来展望を持ち具体的な目標を設定したわけでもなく、卒業時には明確な志望はなかったと言う。
15歳の時、父・豊之氏が亡くなったのだが、“父の仕事を継ごう!”ということまでは考えていなかった節が伺える。
進路の決まらない(決められない?)、何を目指せば、どこを目指せばいいのか分からなくなっていた豊也氏だが、「国際基督教大学の国際関係学科に行こうと思っていましたが、最終的には2年浪人の末、早稲田大学第一文学部へ進みました」。
どんな学生時代を送ったのか。
「学業の思い出は大学の図書館でお経を読んだこと(笑)。あとはイベントスタッフのバイトは結構楽しかったのですが、現実の社会や自分の環境が正視できなかったんです。3年まで進んだんですが、会社の経営も悪くなっているのも知っていたので22歳のとき中退し、会社に入りました。父が亡くなる直前、高知で初めてのFC出店を認めた松下さんという方、この方、現在、弊社の会長を務めているのですが、このころ食事をする機会があり、そのとき『もう親を泣かせていい歳じゃないよね』と諭されました。この言葉に『やらなきゃ』と思うようになり、きっかけにもなりました」。
大きな決断だった。

“社長失格!”「ダメ出し」を突き付けられる。

入社後、二度目の転機が訪れる。社長就任である。27歳だった。
「父が亡くなったときまだ15歳でしたが、子ども心に自分が父の想いを継がなくちゃとは思っていました。弟も同じ思いだったと思います」。
一時は母が社長を務めていました。ただ、母は家庭からいきなり経営者になったので、周囲に頼りながらどうにか会社を守っていたのが実情でした。
「わたしより先に弟が大学には行かず18歳で会社に入っていましたが、わたしはいきなり役員として入りました。当然軋轢も生まれ、思いを同じくしていた弟も3年で退職してしまいます」。
27歳で社長に就任した豊也氏。残念なことに経験不足はどうしても否めない。二代目社長(厳密には三代目)にとって見本、手本となる初代の仕事ぶりを見たこともなければ、学んだこともなく、いわば“暗中模索”で取り組むしかなかった。
「自分ならできるという思いばかりが強くなって、家族のみならず、社員やスタッフとの関わりも一方通行になりがち、一人空回りする事が多い10年だったと思います」。
自分の未熟さや会社運営など山積する諸問題の解決に向けて、なかなか全てを相談出来る人もなく追い込まれていく日々を送る中、創業当時の社員の方に意見やアドバイスを求めて、会社の中に入ってもらう事になったが、結局その方に社長失格の烙印を押され、生え抜きの別の役員に社長の座を明け渡し会社を出る事になった。

・・・次回へ続く

執筆者プロフィール
山内 豊也 Toyonari Yamanouchi
株式会社日本珈琲販売共同機構 代表取締役社長 
東京都立特別支援学校専門特別講師、外部専門委員
横浜市立特別支援学校 外部専門委員
企業内カフェ産学交流会事務局長

1971年、東京都世田谷区に生まれる。
実家は土佐藩第十五代藩主・山内容堂の一族に繋がる武家の出身。
父が東京都杉並区に当時としては珍しいコーヒー専門店『ぽえむ阿佐ヶ谷店』を開業。現在の会社は、コーヒー専門店開業時から将来のFC展開を睨み命名したとのこと。15歳で父が他界。早稲田大学を経て同社に、しかも役員として入社。27歳で社長に就任するものの、37歳で退任。改めて経験を積むため大阪府豊中市のFC店で6年間の修業を重ね、2014年に帰京し社長に再就任。
喫茶「ぽえむ」グループで、ハンドドリップコーヒーの魅力を伝えながら、東京都と横浜市の特別支援学校でカフェの授業を専門委員として従事。
卒業後の健全で充実した就労のために、企業内カフェ産学交流会で各企業でのカフェスタッフとしての就労もサポートしている。

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