人事の刷新、自身は修業へ。
『社長失格』ということで解任された豊也氏。社長就任にいたるまでいささかの経験を積んだといっても社長業は“重き荷物を背負う”ようなもの。荷物の重さに耐えながら歩むことは、足腰の強さと相当の体力が必要だ。当時の豊也氏には、過酷だったのかも知れないし、一方で同情も禁じ得ない。
社長就任から実質解任されたこの時期は、同社にとって大きな変革を迎えるきっかけになったのかもしれない。
「悪化した状況を改善すべく挑んだ、いわば人事の刷新でしたが、それでも経営は改善どころかひどくなり、当時大阪での私の指南役で支えになって頂いた松下さん(現会長)が会社の陣頭指揮をとることになりました。会社は最大の危機でしたが、私は大阪で一心不乱に働くしかありませんでした。むしろ、そう後押しして頂きました」。
新しい陣容で経営改善をはかると同時に豊也氏は、西へ、大阪へ向かった。修業のために。
“捲土重来”を期して、修業のために大阪へ。
“着の身着のまま”というか、“転勤”ではなく“修業”なので、身の回りの必需品を詰めたバック一つで、土地勘もなく、知人とて多くない大阪へ向かった豊也氏。
「豊中にある『ぽえむ』のFC店のそばにアパートを借りて、なかば居候でお世話になることになりました。仕事内容は、大阪市内、阪神地区への営業活動でした。まったく知らない土地でしたが、ひと握りの知人や周囲の方々のご厚意で、少しずつ営業先をご紹介いただき、ひたすら歩いて回りましたね。“どぶ板営業”というのでしょうか、人のご縁にも救われましたが、自分の直観を信じ、飛び込み営業に再三挑んだり、異業種交流会や地域の会合などにも積極的に参加し自分の顔を知ってもらうなど、“日々是精進”でした」。
当然ながら厳しい方もいたようだが、豊也氏の切実、真摯な姿、営業に門戸を開いてくれた方があちこちにおり、今でもお世話になっている方も多いようだ。
こうした活動を積む重ねた3年度、“居候”していたFC店のオーナーが引退することになり、豊也氏から願い出て同店を引き継いだ(現在は、後任の店主に譲り盛業中)。
大阪時代。お世話になったシェフと
“やったつもり”の姿勢が根底から覆された。
FC店を引き継いだ豊也氏。
「“ワンオペ”からスタートしました。毎朝お店の前にたって地域の方に朝のご挨拶をすることからはじめました。こうして、少し少し、一歩一歩ではありましたが、お客さまを増やしました」。
“毎朝のご挨拶”いうが、雨の日もあっただろう。強い風、冷たい風が吹き抜けた日もあっただろう。台風のときもあっただろう。言葉で言い表せない辛い日だってあった筈だ。そんな簡単なことではなかった筈だ。これを豊也氏は3年間、継続した。
「振り返ってみれば、会社には“仕事未経験”でありながらいきなり取締役で入社し、現場に立ったり、新規営業にも行きましたが、結局は誰かの信用や業務の積み重ねのお陰だったんだと気づきました。こうした事実への配慮も感謝もなく、『やったつもり』だったんだと思い知りました」と含蓄のある言葉を口にした。
大阪での6年間があったから「今日」がある。
2014年、社長に復活した。
「大阪での6年間が最大の転機だったと今さらながらに感じます。触れ合った方々のお陰で大阪以前を含めた自分の失敗や間違いを思い知ることができましたし、素直に認められるようになりました」。
こうした変化をもたらしたのは、大阪の漫才文化を代表する『ボケと突っ込み』だと豊也氏は語る。しかもこの『ボケと突っ込み』、決して慣れあいではなく大阪人にとっては特別なことでもなく極めて日常的なコミュニケーション手段のようで円滑な人間関係を保つ潤滑油のようなものだ。人間付き合いの『知恵』だともいえる。
社長失格の烙印を押され学びの場を求めて大阪で過ごした6年間。ひたすら営業を重ね、譲り受けた店を“ひとり”で切り盛りし、地域の方々との交流を深め“商い”の何たるかを骨の髄まで叩き込まれた豊也氏。
「常に関わる人の心理や思いを考えつつ、“真心”と“本物志向”という創業の理念に沿った最善の判断をしていくことが大事だと思っています。そのためには、お客さま、取引先、FC加盟店、地域の方、スタッフとそのご家族まで思いを巡らせ、会社も良くなる道筋を切り開いて行くことに“全集中”ですね」。
大阪での辛酸の日々をおくびにも出さず、“糧”として日々、精進を積み重ねている。
「先ほど、大阪で『ボケと突っ込み』のことを学んだと言いましたが、わたしが至らないときなどスタッフには『突っ込んでね』とお願いしています」。飽くまでも“柔らかでしなやか”な豊也氏。
余談ながら、カラオケの定番の一つに『大阪で生まれ女』という曲がある。差し詰め豊也氏は『大阪で生まれ変わった男』か(?)。
大阪時代。コーヒー講座
次なる飛躍を目指し、新時代を睨んだ戦略を推進中。
人間、誰だって失敗は「ある」し、「ない」に越したことはないが、あっても当然だ。ただ問題は、その失敗をどう乗り切るか。「社長失格」の烙印を押された豊也氏は試練の道を歩むことで自身に起きた「失敗の原因」を理解したことで、「失敗を受け入れる」という方法を心身に刻み込んだ。それは、父である先代創業者が著作に書き残した「失敗こそノウハウである」という言葉を真に実感した体験でもあった。
「現在、主に東京を中心に直営店は2店舗、FC店は20店舗を展開しています。店舗拡大の方法としては、まずは直営でやってみてもなかなかすぐには上手く行きません(笑)。しかし、その失敗を糧に収益性が確認できたらFC転換するという考えです」。
さらに新しいメニューの開発にも余念がない。
「会長の進言もあり、『BEANS&BEANSぽえむ』では当社オリジナルのチョコレートの製造販売にも取り組んでいますし、今後はカカオをスパイスに使ったカレーや焼き菓子などテイクアウト物販向け用の商品開発に力を入れて、FCの皆さんにも喜んで頂けるラインナップを確立します」「飲食+物販で、この先を見据えたビジネスモデルの確立を目指しているので、引き続き来年度に向けて必ず次の出店も狙っていきます」。
こうした取り組みと相まって、人材採用の面でも時代に先んじた取り組みをしている。
「15年ほど前から知的障害のある子どもたちの学校でカフェの授業を担当し、今は都内中心に10校ほどお手伝いをしています。卒業生が就職し、連携してカフェ事業を取り組む企業の方々も11社まで広がりました。今後の目標は、彼らを自ら雇用できる会社に成長していくことです。これもまごころと本物志向の創業理念に叶う事だと思っています」。
“捲土重来”という言葉がある。意味は“一度敗れたり失敗したりした者が、再び勢いを盛り返して巻き返すこと”。豊也氏が生きてきた道そのものではないか。
新店舗BEANS&BEANSぽえむ開店