バイクのお看取り
2025年7月27日
執筆者: 鈴木善樹

日曜日になると、親子三人で町田へ買い出しに行ったものでした。
小2で引っ越す前は4キロ、引っ越してからは8キロの道のりを、めいめいの自転車に乗って出かけていました。道の途中の公園で昼ごはんにしたり、田んぼでカエルを見つけたり、川遊びをしたりもしました。午前中に出ても、帰りは夕方。電車やバスに乗ってどこかに出かけることは、お金がかかるからとしないので、月曜日に同級生が、長野に行った、海外に行ったというのを聞くたびに羨ましく思っていたものでした。
高校に入ると、どこまでも行けそうなバイクに乗りたくなり、父親にはかなり反対されましたが免許をとり、当時の高校の非常勤の地理の先生と上野までバイクを買いに行き、エンストしながらも、その頃住んでいた座間まで乗って帰り、それからは江戸川のその先生のお家まで行ったりしていました。これまで乗ったバイクは、CD50,CD90,GSXR250,XLRBaja250,K125,Cygnus125、CD125Tで、業務用が多めです。特にCD125Tは2台目で、芦屋でお看取りをしたものには15年は乗ったと思います。

長距離を走るようになったのは、東日本大震災直後の4月はじめに、南相馬の病院に、前年冬に研修で出会った職員さんを訪ねて支援物資を届けたのが最初と思います。Googleマップもない中、いつ着くかわからない郡山へ、血の味がするくらい唇を噛みしめながら4号線を直走りました。余震で東横インの壁がバリバリと音を立てていて恐ろしかったのを思い出します。荷台には、服や食料、飲み物、ガソリンなど、バスや電車では積めない物を積んでいました。その時、お尻が痛いからと、クッションをいろいろかえたり、後ろにつけた箱をローブで縛っていたのが、途中ずれ落ちたりしたことから、その後遠出する時は、紐の材質を変えたり、箱に穴を開けて針金でつけたり、工夫をした結果、今は、結束バンドでつけるのにおさまりました。西は広島、北は宮古などいろいろ行くうちに、長距離が楽しくなり、お尻も痛くなくなりました。広島へは往復およそ1800km で、途中姫路、広島、神戸に計3泊、通算50時間は運転しました。
由良川の景色が雄大で、そんなに厳しくないワインディングロードと、加東市や加西市を貫くまっすぐの国道を、夕陽を追いかけて走るのは格別でした。

南相馬病院にて

原爆ドームと

そして、令和6年夏、CD125Tを看取る瞬間がやってきました。
今回は、淡路島で日本ホスピス在宅ケア研究会があり、いつものように、バイクで出かけました。
木曜日の午後3時に職場を早退して、雨の中、十里木を越えて、途中富士宮でバジルののったラーメンを食べ、富士市から1号線へ、旧静岡市内は、125ccでは1号バイパスが通れないので、何回も止まりながら側道を行きました。途中ドラッグストアでトイレ休憩をして、のっぽパンを買い、その後島田から1号バイパスに戻り、快調に浜名湖まで。弁天島を通って、豊橋から23号バイパスへ、豊川の山を突っ切るトンネルが開通前で、三河オレンジロードを通って23号に入り名古屋市内へ。午前2時頃名古屋市内のネットカフェ亜熱帯で一泊。
翌日6時に出て、いなべ市の先の、5キロはあるトンネルをくぐると、愛知川(えちがわ)の源流永源寺ダム、そのあと、東近江、大津、琵琶湖を渡ると京都です。京都のスーパー、フレスコ(スペイン語で新鮮という意味)で、朝飯がわりの鱧のそぼろ寿司を食べて、大阪を過ぎ、芦屋市に入ったら、アクセルスロットルをいくら開けてもエンジンが動かなくなりました。とうとうこの日が来てしまったかとじわじわ思ったのは、必死にキックスターターをかけたり、スパークプラグを掃除したり慌てて散々した後でした。そのあとはやることが目白押しです。実は、宿泊先の鍵を受け取るために、お家の前で待ち合わせをしていて、バイクをジェノバラインのフェリーにのせて、学会のある淡路島で友人たちに合流することになっていたのです。さあどうしよう!まず、鍵については、1時間後に三宮駅ナカで落ち合うこととしました。淡路島の一行には、私をおいて、先に行ってと言いました。結構聞き慣れている感じで、ハイハイという感じでとても助かりました。このバイクと横43センチ縦72センチ、高さ32センチのトロ箱二つの大荷物どうしようと思いながら、電話をかけて1軒目には、バイクが古すぎると断られ、2件目のバイク屋さんで直らんと思うが持って来ていいよと言われ1.2キロ押し、無理と言われました。しかし、そこで紹介された、ホンダをずっと取り扱っていた歴史のあるバイクやさんに行き、エンジンをバラしたいが、元のものを買うのと同じくらいの金額になると言われました。本当は今すぐにでも持って帰って、ボリビア人仲間に修理をお願いしたかったのですが、時間が迫り、芦屋にてバイクのお看取りとなりました。

荷台の大きな箱2つを1つにまとめて、ナンバープレートを外して、一つ一つの行為をする度に、このバイクに、連れて行ってもらった、場所、沿道の風景が走馬灯のように流れてきて、芦屋市で看取られるとは、また、高級なバイクだねと思いつつ。本当にこんなあっけない看取りでよかったのか?残念な別れとなりました。日本ホスピス在宅ケア研究会では、本当にその看取りで良かったかなどいじられ、ネタになっておりました。

執筆者プロフィール
鈴木 善樹 Yoshiki Suzuki
平塚市 福祉部 地域包括ケア推進課

神奈川県出身。
平塚市役所へ入庁し、福祉・医療分野の課へ配属。
1996年にカンザス州ローレンス市へ、大学と地域で福祉を学ぶため派遣され、現地職員の方に影響を受け、帰国後「地域で社会資源を作る・担う」活動を始める。
・精神保健福祉ボランティア「こんぺいとう」での食事会
・カベラ日本語の会にてカンボジア・ペルーのコミュニティと出会い機会創出
・FM湘南ナパサでの「ひらつか防災まちづくりの会」に関わる防災番組
・平塚パトロールでの砂防林の野宿者支援
・「ログハウスDO保健室(旧:はまひるがお)を立ち上げる。

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