ストリート・メディカルの誕生まで
事の始まりは、YCU-CDCのセンター長である武部貴則が医学生時代に「広告医学」という概念を作ったことにあります。武部は学生として医学を学びながら、入学前の期待とのギャップを次のように感じたと回想しています。「お医者さんは、もっといろいろな人を助けられると思っていた。勉強していくと直せない病気が非常に多い。自分の家族をはじめ周りの人が多くなってしまっている生活習慣に起因する病気についても、現状の医学ではやれることが限られている・・・」と。
そこで大手広告代理店が主催する学生コンペに、「広告医学」というテーマを掲げ応募したところ、高い評価を受けられることになりました。そこでは、ただ正しいことを正しく述べる医学的言説に、人々の興味・関心を惹くための手法がつまっている広告の世界のノウハウを掛け合わせることでこれまでの隘路を脱却し、ブレイクスルーを起こせるのではないかという願いが込められていました(注1)。
<図1>上:アラートパンツ、下:上りたくなる階段
このコンペを皮切りに武部は日本の最大手の広告代理店である株式会社電通と共同プロジェクトを進めていくことになります。そういった中で出てきた施策が「アラートパンツ」(注2)であったり、「上りたくなる階段」(注3)などになります(図1)。
一方で、日本高血圧学会などのコラボレーションなどは行っていたものの(注4)、医療業界・医学研究領域では武部の個人活動の域を出ず、更に臨床の現場で日々闘う臨床医との接点をあまり持てずにいました。
そういった中、武部の横浜市立大学医学部の先輩である井上祥氏(株式会社メディカルノート 代表取締役)の仲介もあって(注5)、湘南地域で日々臨床活動をされている内門大丈先生と会う機会が設けられ、「何か面白そうなことをやっているね。この概念を是非、皆に広めたいね」とご賛同いただくことになり、「広告医学研究会」という任意団体を立ち上げることになり、全6回の会を開催し、臨床医やクリエイター、湘南地域で活動する地元の人々などとディスカッションする機会を多く得ることが出来ました(注6)(注7)。
その後、2018年に武部の活動実績が大学に認められ、横浜市立大学の先端医科学研究センター内にコミュニケーション・デザイン・センター(YCU-CDC)が正式に立ち上げられることになりました。その頃になりますと「広告医学」という概念はキャッチ―で分かりやすいものの、活動範囲やねらいとする射程は「広告」という概念では収まりきらないのではないかという議論が活発化し、現在の「ストリート・メディカル」という概念を創出するに至りました。
つまり広告医学という概念を発展的に吸収させた概念がストリート・メディカルであるとご理解いただければと思います。
(注1)武部貴則他,広告医学が拓く新たな医療のカタチ 二十年先の未来はいま作られている. 日本経済出版社. 2012
(注2)https://y-cdc.org/portfolios/alert-pants/
(注3)https://y-cdc.org/portfolios/%e4%b8%8a%e3%82%8a%e3%81%9f%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%82%8b%e9%9a%8e%e6%ae%b5/
(注4)https://www.healthcare.omron.co.jp/medical/seminar/pdf/20141018.pdf
(注5)https://medicalnote.jp/doctors/170823-002-VR
(注6)https://medicalnote.jp/contents/170421-003-JS
(注7)https://medicalnote.jp/contents/161216-001-OY