音楽は不思議なパワーを持っているNo.10 〜枯れた男の“あの頃の僕たち”〜
2024年12月23日
執筆者: 在津 紀元

20数年前の事で恐縮ですが、枯れた男の思い出語りにしばしのお付き合いを! 

歌舞伎座裏の細い通りに大人の隠れ家のような“銀座っ子”という小さな飲み屋があった。四十年来の友人で “歌うグラフィックデザイナー”としてクリエイティブ業界ではちょっとした有名人のM君と、月に数回は此処“銀座っ子”で、たわいのない時を過ごすのが何よりの息抜きであった。

ここでの話題といえば、近況はほんの数分。手掛けているクリエイティブな話やお互いに若かりし頃の、夜の武勇伝?に花を咲かせて明日への活力、エネルギーを充電していたのである。適度に酔いが回ってくると東銀座の“銀座っ子”から J Rの新橋駅までぶらぶら歩きをするのが常であった。

銀座4丁目の交差点から有楽町方面を歩きながら、西5番街通りを土橋経由で新橋駅に向かうルート、又ある時は並木通りから新橋駅へ。又あるときはスズラン通りから並木通りを経由して新橋へ。これが、枯れた男の「あの頃の僕たち」の思い出回想コースである。これらのコースを、その時々の気分で足の向くままにあれこれ思い出話しをしながらのぶらぶらは適度なストレス解消になった。

或日“銀座っ子”をスタートして三笠会館がある並木通りをぶらぶらしていた。並木通り界隈で遊んでいた頃のたわいのないドラマに思いをはせながら土橋のリクルート本社裏を抜けJ Rの新橋駅に向かってぶらぶら。ほろ酔い気分で銀座の裏通りを歩く枯れた男が交わす二人の回想的な「あの頃の僕たち」の会話を少しだけ披露しよう。


・「丸源ビルは変わっていないけれど、知った店のネオンは皆無だね」
M「あのビルの4階にあった“クラブ・ジャャンク”も随分前に閉めたらしい」
・「あそこのビルにあったシルックも閉めたし5階にあった“クラブ奈津子”の奈津子ママもご高齢で引退。開店時ではネオン看板とロゴをデザイン。ギャラは、一回五千円ポッキリで一年間遊ばせてくれた。いい時代だった」
M「そんな美味しいバイトが2~3軒あったね!あそこのビルの4階にあった“樹林”もそうだった。顔OKでもっぱらカラオケ!で遊ばせてくれた。最近日航ホテルの裏の小さなビルに移転したらしい」
M「旧電通通りにあったC&C会館はカラオケビルに変身」
・「C&Cの6階にあったシャトレーヌは随分通った。ここでピアノを弾いていたのが伊勢佐木町ブルースや東京ドドンパ娘を作曲した鈴木庸一先生」
M「並木通りには、銀座名物の花束を抱えた花売り姉さんがいたけど最近は見かけないね。」
M「チョット前だけど並木通りのアルマーニーのブティックを覗いていたら、ア~ラMちゃん!暫くじゃない!大箱の店を閉めて小箱の小さいスナックに変身したわよ。一人一万円にするから私の店に来ない?と声をかけられたことがあったね。5千円だったら覗いてもいいよって答えたら、アラマ~随分だね。金もないクセにアルマーニーの店なんか覗てるんじゃないよ!て啖呵をきられた。年はとっても銀座のママは小粋で強い」
・「並木通りを歩き廻りながら「あの頃の僕たち」を回想する度に懐かしさと時の流れを感じながら、銀座のネオンを浴びることで消えかかってる男のエネルギーがかすかに揺れる、そんな不思議な感じがするな」
M・「数日前、ルイヴィトンの店の前で会員制クラブのY社長とばったり。偶然の再会を懐かしみながら、景気の良かった昔話に花が咲きお互いに身体に気を付けようと云うことで分かれたが、これもまた時代だね」

枯れた男の青春時代の「あの頃の僕たち」はというと、M君は歌手志望で芸能事務所から歌のレッスンに通っていたので実に歌が上手い。私の学生時代は4年間学生ジャズバンドでアルトサックスを吹いていた。ともに青春時代は音楽が遊び道具。数年に一回開催される同窓会での話題も学生時代の「あの頃の僕たち」このフレーズは青春時代や現役時代の思い出を回想することができる。まさに元気の出る薬のようだ。
ある日、某レコード会社の敏腕プロデューサーと新しい企画の打ち合わせをしていた時のことだ。彼とは、遊びと仕事を両立させている同志的な存在であった。打ち合わせの合間の雑談の中で、ところで、ゴルフとカラオケ好きのMさんは元気?と一声があった。時々彼と連れだって並木通り周辺で飲み歩いていた当時の頃を回想しながら「あの頃の僕たち」ツアーをしていると話したところ、彼が、「あの頃の僕たち」このフレーズいいね。1970年代の珠玉のフォークソングフのコンピレーション企画でそろそろ楽曲の選定が始まるけれど、ネーミングやとキャッチコピーなど広告関係は未だ手をつけていないので、コピーライター時代のあの頃を思い出して仕事をしてよ!という事になった。枯れた男の銀座回想ツアー話が思いがけない新規の音楽仕事を運んでくれたのである。新作のタイトルは「あの頃の僕たち~青春ギター・フォークベスト「あの頃の僕たち~フォーク黄金時代」結構売れたそうである。

世代や年齢に関係なくその時々の記憶が「あの頃の僕たち」という脳内コンテンツで回想となって再生される。たまには、あのときの出来事など様々な事を回想するのも、自分自身の活力や鮮度を保つ事に適しているのかも知れない。

執筆者プロフィール
在津 紀元 Kigen Zaitsu
1964年東洋大学社会学部卒業と同時にコピーライターとして広告界へ。
マーケティング&クリエイティブ会社を立ち上げマーケティング戦略企画やイベントの企画構成演出を多岐にわたって手がける傍ら、専門学校の常勤講師や大学等で講義や講演、執筆活動などコミュニケーションマルチプレイヤーも70歳で現役を終えた。
現在は、情報発信を続けることで様々な刺激を受けながら雑文の執筆や、忘れたころに依頼される時々の講演や、レディオ湘南で毎週日曜日の『ざいつきげんの音楽鍋』のマイクに向かっている。
ミニFM局時代が13年。レディオ湘南で26年。通算すると地元でマイクに向かって39年。伝説のDJと云われている由縁である。

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