音楽は不思議なパワーを持っているNo.2 〜音楽とは縁樂である〜
2024年1月29日
執筆者: 在津 紀元

縁は異なもの味なもの

ジャズの名曲 “What A Difference A Day Makes”は“縁は異なもの”という邦題で日本人にもおなじみのスタンダードナンバーである。古い諺に「縁は異なもの味なもの」というのがある。その意味を調べてみると、男が女を求め、女が男を求めるのは生物の本能であるが、一人の男と一人の女が結婚して生活を共にすることは重大なことである。ところがその結びつきは、人間の予想し得ないような経路を経ていることが多い。実に不思議で面白いものである。

まさに“縁は異なもの味なもの“中々薀蓄のある諺であると物の本にかかれていた。普段からよく使われていて日本語に込められ深い意味の「ご縁」私の大切な言葉でもある。「これもご縁ですね~」「この度は、大変素晴らしいご縁をいただきました」「あの人やあの場所には何かとご縁がありまして」「またご縁があるとよいですね」「これは何かの縁」など、さまざまな場面で使われている。私の場合、連れ合いとの結婚も不思議な縁で結ばれているが、それこそ想像すらしていない、思いもよらないような意外性のある出会いなど縁は異なもの!結構「縁」のめぐり逢いは多いほうだと思う。

音楽が縁を呼び込んでくれる

「What A Difference A Day Makes~縁は異なもの」が“ざいつきげんの音楽鍋”という私のラジオ番組みで流れ始めると、“お待たせしました❣今夜のお客様の登場です。音楽が運んでくれた今夜の不思議な出会いは”というお喋りから始まるのである。私が思っている縁は異なものと、この曲本来の意味とは若干違うが、邦題に惹かれて聴いたところメロディーや歌詞に何か感じるところがあり、私のテーマ曲といってよいくらい好きである。音楽は様々な出会い~縁を演出してくれる不思議な力を持っている。だから音楽は私にとって縁を運んでくれる相棒みたいな存在なのかもしれない。
チョット古い話になってしまうけれど、東京の浅草橋に開校する国際ビジネス系専門学校の立ち上げに参画し、開校後はそのまま常勤講師となって数年教壇にたっていたことがある。新設の専門学校!にとっての初年度の生命線は学生の募集であり確保することである。特に新設校は最大の課題。生徒募集対策会議でアプローチする重点校に対し、「面白い講義の出前」を行い新設校の存在を示しながら高校生の関心を喚起してはどうかという案が支持され、発案者として初陣を飾ることになった。

初めてのことでもあり、講義のテーマは高校生の興味を引き付けるプログラムからスタートさせて方が良いだろうという意見から「ラジオのDJ・パーソナリティの音楽講座」というテーマで講義の出前をすることになった。講義の当日、高田馬場にある某高校に出向き30名ほどの高校生を前にして教壇にたった。口ひげを生やし派手目のジャケットなど先生らしくない格好にインパクトがあったのか多少のざわつきはあったものの思いのほか静かにスタートした。

専門学校の常勤講師時代

高校生と対峙するには世代や時代のギャップから速授業というのは難しいので、コミュニケーションの糸口を探る手段として用意してきた音楽に関したアンケート用紙を配布した。以外にも丁寧に答えた用紙を回収し、パラパラとめくっていたところ「好きな歌手は?」の設問の回答のところで中本マリと書かれた文字が目に飛び込んできた。中本マリは日本代表する現役バリバリの著名なジャズシンガーである。高校生なのにベテランのジャズシンガー中本マリが好き!という回答に驚かされ信じられなかった。思わず中本マリっておばさんのジャズシンガーが好きと回答したのは誰?と聴いたら男の子がハイと手を上げたのである。君はジャズが好きなの?嬉しいね。私の好きな歌手の一人だよといって、君は中本マリのどこが好きなのと聞いたところ、彼は中本マリは僕の母です答えが返ってきた。このひとことで教室の空気が和み、講義の出前も音楽が世代を越えたコミュニケーション素材になって、思いのほか楽しくスタートすることができたのである。講義が終わって彼に中本マリさんとは昔一緒に仕事をした事が何度かあり私の憧れの人だよ!家に帰ったら在津という人にあったけど知っている?と聞いてみて、もし憶えていたら電話頂戴って伝えてよといって教室を後にしたのである。その日の夜、電話が鳴って受話器を取ったらハスキーな声で「中本です、お久しぶりね。息子から聞いて驚いたわよ。ちゃんと憶えているわよ。息子は興奮して喜んでいたわよ」と、声が耳元で弾んだのである。その日は思いもよらなかったきっかけが閉じられていた交遊録を開いたような不思議な縁を感じながら電話を切った。それから一ヵ月後の日曜日、私の番組に中本マリさんが、「ざいつきげんの音楽鍋」のマイクの前に座っていたのである。音楽がきっかけで異次元世代のような高校生とのコミュニケーションの糸口が見えたり、思いがけない人と再び出会うきっかけとなったり音楽は違った形の縁結びパワーをもっているものだとつくづく思う。

私を聴いてとCDが叫ぶ

音楽業界が生き生きしていたひと昔前には、レコード会社や音楽事務所からプロモーション用新曲CDが数百枚詰まったダンボールが毎月送られ来ていた。段ボール開ける時、今回はどんな音楽に出会うのかという期待に胸の高鳴りを覚えるのであるが何かを感じるとき感じない時、それはさまざまであった。

ある時、たまたま手にして試聴していたのが、Saudadeというボサノバのお馴染みのナンバー 。これを聴きながら、サンパウロに住んでいる従弟の事が思いだされた。それから数日たったある日久しぶりに日本へ行くのでお会いしたいというメールが届いた。Saudadeが再会の縁を運んでくれたような気がしてならなかった。ラジオ番組用の選曲作業をする場合、CDが150枚ほど収納されているケースを前にすると、CD達が「私の歌を聴いて」「私を選んで」「私の事を知ってほしい」とCDの叫びが聞こえてくるような感覚になって来る。ミュージシャンの心を込めた魂のオーラは、強力なメッセージとなって心がくすぐられるから音楽遊びは面白い。或日、湯川れい子事務所から届いた数百枚のCDBOXから何気なく手にしたCDをプレイヤーに乗せた。アンニュイな声のジャズが流れてきたのでジャケットを見たらたら無名の日本人のシンガー。

声に興味を感じたのでジャケットに記載されていたホームページを覗きプロフィールを見ると、私が卒業した大学と同じでかなり年の離れた後輩ということが分かった。学生時代に軽音楽部のジャズバンドに所属しジャズを歌っていたと書かれてあった。彼女が所属していたバンドの名前は私が現役の軽音学部時代に命名したバンド名と同じ。なんとなく手にしたCDの声の主が、大学の後輩。さらに私の軽音楽時代のバンドの後輩、なんという偶然。先輩であることは伏せて、私の番組に出演しませんか?という出演お誘いのメールをしたところ、とんとん拍子にゲスト出演が実現したのである。スタジオで初対面の当日、お互いに挨拶を交わしながら私が学生時代作ったバンド活動の資料を彼女にみせたところ目が点になって立ちすくみ思わず大先輩ですか!こんなことってあるのですか!と最敬礼。さらに驚いたことに彼女の息子さんは音楽系の有名な専門学校を卒業してアカペラのコーラスグループを組んで活躍していると話してくれた。偶然にもその学校の名誉校長が湯川れい子さん。私はこの学校の開校当時顧問として名を連ねたこともあった。本人はもとより驚きの連続で言葉もしばらくでなかった事が思い出される。まさに音楽はご縁を運んでくる不思議なパワーの証明である。音楽で得た縁は思い出すと枚挙にいとまがないほどである。選曲の為に音楽を聴いたりCDを手にする度に今度はどんな縁に出会のだろうかと心が弾んでくる。音楽は私にとってはスリリングな縁を運んで來る。だから音楽は「縁樂」なのである。音楽にはもう一つ大きな特色がある。それは、「音楽は副作用のない生薬」効能書きを見ると、心を落ち着かせてリラックスさせる効果がある。明日の活力エネルギー源に。近年は「認知症の発症や進行を遅延させる回想法のアイテムとして注目くされている。音楽最強!

執筆者プロフィール
在津 紀元 Kigen Zaitsu
1964年東洋大学社会学部卒業と同時にコピーライターとして広告界へ。
マーケティング&クリエイティブ会社を立ち上げマーケティング戦略企画やイベントの企画構成演出を多岐にわたって手がける傍ら、専門学校の常勤講師や大学等で講義や講演、執筆活動などコミュニケーションマルチプレイヤーも70歳で現役を終えた。
現在は、情報発信を続けることで様々な刺激を受けながら雑文の執筆や、忘れたころに依頼される時々の講演や、レディオ湘南で毎週日曜日の『ざいつきげんの音楽鍋』のマイクに向かっている。
ミニFM局時代が13年。レディオ湘南で26年。通算すると地元でマイクに向かって39年。伝説のDJと云われている由縁である。

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