音楽は不思議なパワーを持っているNo.7〜50us$紙幣を半分にちぎって〜
2024年8月17日
執筆者: 在津 紀元

ニューヨーク ファションは、セクシーでグラマラス!

「パリ・プレタポルテ・コレクション」パリコレは、世界のファッショントレンドを左右する最大規模の新作発表イベントとしてお馴染みであるが、1960年代には、ラルフ・ローレン、カルバン・クライン、ペリーエリスといったファションブランドが、ニューヨーク(NY)コレクションに参加したことからパリコレを凌駕するほど一気に注目を集めた。
シンプルでセクシーな大人の女性を意識した都会派的感性のキャリアウーマンファションが市場に影響力を持ち始めた。パリコレ一辺倒であった日本のファッション市場もニューヨークコレクションに関心が高まり始め、1975年には伊勢丹がいち早く当時最も注目されているデザイナー「カルバン・クライン(Calvin Klein)」を日本上陸第一号として登場させことから、日本におけるキャリアウーマンを意識したNYファッションブームの口火を切ったのである。
カルバン・クラインのライセンス商品開発を手掛ける某アパレル会社から、知人を通じてマーケティング分野のプロジェクトへ参加するようにとの誘いがあったので即決で参加を決めた。
ライセンス商品開発を手掛ける関係者との初顔合わせに出席すると、カルバン・クライン側がら提示されたデザインの商品化を担当する日本側のチーフデザイナー“Y女史”の、ボディラインを強調したグラマラスでセクシーなシルエットが眩しく焦点がなかなか定まらなかった事が思いだされる。“Y女史”はすでにNYファションの最新作を見事に着こなしていたのである。流行の最先端の感覚に浸りながらファションマーケティングの研究や勉強に追われていた。

ニューヨーク初体験の記憶・・NYコレクションとジャズクラブ・・

「カルバン・クライン」ブランドの展開が伊勢丹で本格的にスタートして数か月たった或日“Y女史”から、コティ賞を受賞した新進のデザイナー「チャールス・サポン」の日本進出を手がけるのことになったので参加してほしいと声がかかり即決でOK。一週間後にNYコレクションで発表される“チャールス・サポン”のコレクション視察と、プロモーション用の商品撮影を目的に、“Y女史”や関係スタッフと共に成田を発った。参加OKから1週間後の事だった。
NYに着くと、レキシントン・アベニュー沿いで、デマディソンスクエアパークに近く、グラマシーエリアにある1925年開業のアンティークモダンなGramercy Park Hotelが用意されていた。ホテルの宿泊客だけが利用できるプライベートパークや、ハンフリー・ボガードが結婚式を挙げたホテルとしても知られているアーティスト好みのホテルである。残念なことに格式あるアンティークなホテルが、現在は全面改装され個性的ヨーロピアンテイストに生まれ変わったそうである。
“チャールス・サポン”側スタッフとビジネスミーティングやランチミーティング。“チャールス・サポン”のコレクションはもとより、注目されているデザイナーのコレクション数箇所を見て廻ったり、日本で展開する最新作をプロモーション素材として撮影するロケ現場に立ち会ったりとあわただしく5日間が過ぎた。

タイムズ・スクエアでロケ!本番前にパチり・・
これまで縁のなかったファションマーケティングの仕事でNY行きを即決したがこれもまた“Y女史”との運命的な出会は実に刺激的でエキサイティング。そんな気持ちでスケジュールを消化していたが、秘かな楽しみは、マンハッタンのグリニッジ・ヴィレッジに70余年の歴史あるジャズクラブ“Village Vanguard”へ行くことであった。アルトサックスを首から提げ勉学よりも、学生バンドでジャズにうつつを抜かしていた学生時代からの夢の実現である。
夕食後もホテルで連夜に亘るミーティングということもあって半ばあきらめていた。NY滞在中の自由時間と云えば、ホテルのプライベートパークを散歩して、近くのカフェで珈琲ブレイクというハードスケジュール。帰国前日の夕食後にやっと開放されプライベートな時間が持てた。
資料を整理し帰国支度をすませた頃は23時を回っていたが行動開始。ホテルに付けているタクシーに乗り“Village Vanguard”の住所を書いたメモを渡して此処へ行きたいと伝えた。暫くすると“Mr.!6分もすれば着くよ”とドライバーの声を聴いたとたん、初めてのニューヨーク、方向音痴、ホテルとジャズクラブの位置関係は?帰りの足はどうする?不安が頭をよぎった。
“ Mr!着いたよ”といってクラブの正面でタクシーが止まった。とっさの閃きで、50$紙幣を半分にちぎり、その片割れに10$紙幣一枚を添えて午前2時にもう一度このクラブに来てくれた残りの半分を渡すけど良いかと聞いたところ、半分に切られた50$紙幣とチップの10$をポケットにねじ込めながら、親指を立てて笑顔でOKのサイン。2時だな・・・と言って走り去っていった。
あとは野となれ山となれ。 行きはよいよい 帰りはこわい、の心境だった。

ジャズクラブ~至福のミッドナイトだった

憧れの空間でJazzを堪能し夢心地のNYナイトだった。約束の時間にクラブの入り口に立っていたらタクシードライバーが手を振りながら駆け寄ってきた。深夜のニューヨークを案内してやるよと説明付きで市内を走り回りホテルに着いたのが午前3時を回っていた。翌日の朝食の時“Y女史”達に昨夜のジャズクラブ探訪を話したところ、すご~い!一人で行ったのもスゴイけれど“50 $紙幣を半分にちぎって”帰りの足を確保するなんて良く思いついたわね。
信じられな~い!の連発。咄嗟のアイディアが話題となった朝食だった。

帰国の3ヵ月後に、ラフォーレ原宿で開催する“チャールス・サポン コレクション”のプロデュースを手掛けた。コレクションのオープニンブ楽曲として選曲したのが、マンハッタン・トランスファーのキャンディー。

ニューヨークの真夜中を走り回ったタクシーのカーラジオから流れていて心に沁みたマンハッタン・トランスファーのキャンディーはMy Favorite Song私の想い出深い一曲でもある。1976年の記憶から・・。

執筆者プロフィール
在津 紀元 Kigen Zaitsu
1964年東洋大学社会学部卒業と同時にコピーライターとして広告界へ。
マーケティング&クリエイティブ会社を立ち上げマーケティング戦略企画やイベントの企画構成演出を多岐にわたって手がける傍ら、専門学校の常勤講師や大学等で講義や講演、執筆活動などコミュニケーションマルチプレイヤーも70歳で現役を終えた。
現在は、情報発信を続けることで様々な刺激を受けながら雑文の執筆や、忘れたころに依頼される時々の講演や、レディオ湘南で毎週日曜日の『ざいつきげんの音楽鍋』のマイクに向かっている。
ミニFM局時代が13年。レディオ湘南で26年。通算すると地元でマイクに向かって39年。伝説のDJと云われている由縁である。

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