音楽は不思議なパワーを持っているNo.15〜私にとって、音楽とは・・・ある時は遊び道具・ある時は親友、そして今は同志〜
2025年11月2日
執筆者: 在津 紀元

‘50&‘60の洋楽が私の青春時代そのもの。
音楽を生業にしていた訳ではかいが、音楽との関わりは1961年の大学1年時から始まり広告業界での現役時代はもとより85歳の今日まで私の側から音楽が離れたことはない。私と音楽との関係は、時には遊び道具、ある時は親友。現役時代は戦友、現在は同志である。
音楽に目覚めたのは今で云うところの洋楽で、当時はポピュラー音楽や軽音楽というジャンル。ラジオの人気番組は、1952年から1970年にかけて放送されていた「S盤アワー」「L盤アワー」「P盤アワー」という音楽ラジオ番組。外国映画の主題曲、カントリーウエスタン、ラテン、ジャズ、タンゴ、ポピュラーソング、ロックンロールなどが巧みな構成。米国の最新音楽情報が楽しめる番組で、夜から深夜にかけて放送されていた。
これらの番組は、放送作家の完璧な放送台本に沿って、デスクジョッキー(DJ)が素敵な声、魅力的なトーンで語りかけながら、最新のヒット曲や話題曲など音楽を楽しむという番組で、今思うとかなり完成度の高い番組。1953年(昭和28年)の中学2年生の頃から、高校受験のために旺文社の高校受験ラジオ講座で勉強に励むという約束で最新のトランジスタラジオを買ってもらった。
当時、北海道の苫前郡というエリアに住んでいた事もあって、トランジスタラジオではラジオ講座の電波をキャッチするのが中々大変。そんなある夜、ラジオ講座の周波数を調整しているとき、突然優しい女性の声が流れてきたので聞き入っていたら、聴いたことのない音楽が流れてきた。それが「S盤アワー」のオープニングテーマ曲「ペレスパラードのエル マンボ」であった。
当時は、流行歌を自宅の蓄音機や映画館で聞くという程度で音楽にはあまり縁が無かった。旺文社の高校受験講座を聞いている振りをしながら洋楽に目覚、「S盤アワー」L盤アワー」」P盤アワー」の虜となったが運良く高校生に。その頃から新たに「FEN~極東放送」が加わって夜はもっぱらラジオ深夜族であった。‘50&‘60の洋楽が私の青春時代そのもの。1961年(昭和36年)大学の入学式へ行くと、校舎前の広場では様々なグループが、夜店の客引きの様に新入生を勧誘していた。帰り際にジャズが聞こえてきた方に目を遣ると、ジャズの好きな新入生歓迎!というポスターが目にとまった。

新入生が「アルトsax」を持って学校へ・・・
「ジャズの好きな新入生歓迎」のポスターに惹かれて、入学式の一週間後に「アルト Sax」を持って学校へ行った。持参した「アルトSax」は父が外国での赴任を終え、帰国する際に私への土産として買ってきた物である。音楽に縁があるわけではないが、たまたま通りすがりのウインドに飾っていたのが目に付き買ってきたといって渡された。密かに深夜の音楽放送聴いていたのを知っていたのかも知れない。
軽音楽部の部室に入ると先輩らしき数人が笑顔で集まってきた。新入部員第一号、歓迎するから登録用紙の空欄を埋めてくれないといいながら彼らの関心は「アルトSax」一人が、Selmerのアルトだ。すげ~な!と声を上げた。
予備知識も無いままに生まれて始めて手にした楽器が「アルトサックス」。
せっかく土産でもらったのだから軽音楽部に入れば教えてくれる・・そんな気持ちで入部したのだが一年生は、楽器の手入れや部室の掃除。演奏会ではバンドボーイ。「おいらのサックスはテナーサックスの先輩が独り占め」で気分良さそうにジャズっていて、そんな状態が2ヶ月ほど続いた。かなり悔しい~そんな気分。
神田の下倉楽器店で、アルトサックスを教えてくれることが分かり、3ヶ月ほど通いある程度扱える様になった。ラジオの音楽深夜放送に打ち込んでいた時の聴き覚え、というのか耳覚えというのか「テネシーワルツ」や「センチメンタルジャーニー」を部室で吹いていると先輩達が驚き、軽音楽部のジャズバンド「ミッドナイトスターズ」のメンバーに加えてくれた。6月の軽音楽部演奏会では、一年生の有望メンバーそして紹介され初舞台。そのときの演奏曲は「I’m In The Mood For Love~恋の気分」だった」大学の4年間は学業より大半を「軽音楽部」で謳歌していた。

「日本酒とジャズのジョイントコンサート」
1964年(昭和39年)の卒業後はコピーライターとして広告業界で羽ばたき始めた。30代の半ば頃からは、コピーワークよりプランナーとして、セールスプロモーションやマーケティング戦略の企画を手がけることが多くになっていた。
卒業以来音楽はもっぱら、ラジオやテープで聴くか来日するジャズミュージシャンのコンサートに行く程度であった。60年後半頃から70年後半に掛けて消費者向けのキャンペーンや、企業の様々な記念イベントを企画することが多くなった。
その頃から様々なキャンペーン企画に音楽を加えたり、ファションショーや企業の祝賀ディナーショウの企画演出等で音楽との新しい関わり合いが深まってきた。1980年(昭和55年)7月の或日、日本酒の需要促進と市場活性化が目的の、PRイベント企画に企画&プロデューサーという立場で参加することになった。東京での開催が成功したら全国展開という魅力的な仕事。この仕事は、日本酒造組合が主催し1981年10月1日の「日本酒の日」と日本酒センターオープン記念イベント企画。一年がかりの大仕事であった。そんなある日、アートディレクターのM氏と気分転換に銀座の日航ホテル裏にある小さな馴染みのJazz Barに立ち寄った。
日本酒のPRイベント企画で頭を悩ませているのだからと、日本酒のオンザロックで口を潤していた。心地よい4ビートで会話が弾み口を潤す量も増えて適度の酔いに浸り、ジャズを聴きながら日本酒”が楽しめた。
その時に閃いたのが、日本を代表するジャズミュージシャンのステージを楽しむブッフェ形式のパーティ。もちろんアルコールは日本酒のみで熱燗もなし。料理のアイテムも洋食だけという脱日本色を徹底し、薦被りの樽のまま冷やした日本酒をグラス片手にジャズを聴きながら料理と会話の弾むパーティというイメージ。
翌日一気に企画書を書き上げた。当時は、日本酒市場が洋酒に押され需要が停滞し苦戦していたこともあったので、時代に則した斬新なアプローチと女性層の開拓という課題解決策と、日本酒の新しい楽しみ方の提案などを網羅した企画がプレゼンテーションで評価され、Ⅰ年後の開催に向けた作業がスタート。気分転換で立ち寄ったJazz Barでの酒とジャズが大仕事に結びついたこともあって以来、何かと理由をつけて足を運んでいたことが思い出される。音楽はまさに戦友だった。

・第一回「日本酒とジャズのジョイントコンサート」概要
・開 場:帝国ホテル~孔雀の間
・開 催・1981年(昭和56年)10月1日・日本酒の日・18時~20時
・出 演・ジョージ川口&ビッグ4/鈴木章二&リズムエース/アンリ菅野他
※マスメディアで参加募集告知し男女カップル500組1000名無料招待

「日本酒とジャズのジョイントコンサート」今日的な表現では “日本酒とジャズのコラボレーション” は大盛況だった。主催者はこれまでに開催した、日本の伝統芸能がメインのイベントと比べて、日本酒とジャズの会場で消費した日本酒の消費量が4倍にもかかわらず酩酊者も皆無。大量の日本酒は勿論総ての料理も完食といった状況に驚いていた事が想い出される。総合プロデューサーとしてこのイベントを連続して手懸けたことで、昭和のジャズシーンを築いた多くトップミュージシャンとの交流はいまもなお続き掛替えのない財産となっている。

そして、音楽は私の同志!
藤沢市にあるコミュニティFM放送局「レディオ湘南」で1996年の開局から続けているラジオのDJ遊びは、私の趣味の域を超え今やライフワークとなっている。
13年続けた自宅のミニFM放送局でのDJ遊びが13年。レディオ湘南での30年を加えるとDJキャリア43年。日本で最年長の現役DJ。音楽はまさに同志。
青春時代に聞いていたS盤アワー等が私の番組「音楽鍋」の原点となっている。
輝いている人や素晴らしい感性の持ち主から不思議なオーラを感じ引き込まれる。ミュージシャンが心をこめて制作したラックに収まっている約4000枚のCD達が、番組作りのためラックに向き合う度に「私を聴いて」私を選んで」」私を音楽鍋に入れて!と主張する強力なオーラーを発信している。音楽は不思議な世界だ!

執筆者プロフィール
在津 紀元 Kigen Zaitsu
1964年東洋大学社会学部卒業と同時にコピーライターとして広告界へ。
マーケティング&クリエイティブ会社を立ち上げマーケティング戦略企画やイベントの企画構成演出を多岐にわたって手がける傍ら、専門学校の常勤講師や大学等で講義や講演、執筆活動などコミュニケーションマルチプレイヤーも70歳で現役を終えた。
現在は、情報発信を続けることで様々な刺激を受けながら雑文の執筆や、忘れたころに依頼される時々の講演や、レディオ湘南で毎週日曜日の『ざいつきげんの音楽鍋』のマイクに向かっている。
ミニFM局時代が13年。レディオ湘南で29年。通算すると地元でマイクに向かって42年。伝説のDJと云われている由縁である。

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