“外国の著名な美術館展”が上野の東京都美術館で開催される度に足を運んでいた。美術鑑賞が趣味と言うわけではないが、東京都美術館の雰囲気が好きなことと、此処で開催された、パリ・マルモッタン美術館展、大エルミタージュ美術館展、ルーブル美術館展、フィアデルフィア美術館展、オルセー美術館展など、過去に訪れたこれらの美術館での思い出を回想しながらのひと時に忘れかけた旅の余韻が蘇ってくるからである。
印象深く心に残った名画も時の過ぎるままに脳裏から消えてしまうが、これらの美術館展での再会は初恋の人と出会ったような懐かしさを感じ嬉しくなる。訪れた美術館で心を動かされた名画に出逢うとギャラリショップでポストカードを買い求め、“心で感じたポストカードアルバム”に差し込み安上がりのコレクションとして楽しんでいる。日本の美術館で買い求めるポストカードは、題名などのクレジットが日本語で表記されているのがありがたい。
2011年8月に東京都美術館で開催された“フェルメール展”では、フェルメールの作品7点を鑑賞した。ヨハネス・フェルメール(1632-1675)がその生涯で残した作品は三十数点と言われている。私が初めてフェルメールの「天文学者」「と「レースを編む女」出会ったのは58年前ルーブル美術館である。
これまでに日本で開催された様々な美術展で鑑賞し私が記憶しているフェルメールの作品は「レースを編む女」「牛乳を注ぐ女」「真珠の耳飾りの女」「手紙を書く女」「青衣の女」「水差しを持つ女」「リュートを調弦する女」「小路」「手紙を書く女と召使」1966年の9月にルーブル美術館で「天文学者」「レースを編む女」等30数点の内11作品に接することが出来たことは私の密かな喜びである。ルーブル美術館でふたつの作品に出逢った当時の私は、フェルメールが何者なのか知る由も無かったが、画家を目指してパリに留学しながらアルバイトに日本人観光客向けのガイドをしていたKさんが、ルーブル美術館のフェルメールの作品を前にその魅力を熱く語ってくれたことが影響し好きな画家の一人になっている。当時の旅行記に、アムステルダムの飾り窓のあたりを歩いたときの描写を「夜になって運河に沿った飾り窓の並んでいる通りを街路灯に誘われながら歩いていると、色とりどりの灯りに縁取られた飾り窓の中で、本を読んでいたり編み物をしていたりしている女性のシテュエーションはまるでフェルメールの絵のように感じられた」と書いていた。日本の美術館で買い求めた「リュートを調弦する女」を机の前の壁にピンでとめている。音楽はフェルメールが好んで描いたモチーフの一つだとポストカードに書かれてあった。
G線上のアリアでフェルメールを鑑賞
リュートを調弦する女
フェルメールが生きた17世紀はバロックの時代。バロック時代の音楽を頂点まで高めた音楽家はJ.Sバッハだと何かの本に書いてあったことを思い出した。
クラシックには疎いが、バッハの“G線上のアリア”が、音源BOXからさまざまなスタイルで演奏されているCDを10枚ほど引っ張り出して、ピンナップしたポストカードと仕事部屋のイメージにマッチするのはどれかと聴き比べをしてみた。わたし流のBGM探しという音楽遊びである。その結果,たどり着いたのがG線上のアリアをカバーしている“Sweet boxのEverything’s Gonna Be Alright”“Richard Stoltzmanのボサ ノヴァ バージョン”“神山純一のジャズアレンジ”の三種類が耳障り良く楽しめた。その中でも特に、Sweet box のG線上のアリアにラップを融合したクラシック・ミーツ・ヒップホップと云う新ジャンルが新鮮な気分に浸れた。「リュートを調弦する女」は、柔らかい光の差し込む窓際の机に座って、リュートを調弦する女の視線が何故か窓の外に向けられている。変な音が聴こえてくる方に眼が向けられたのか、向かいの窓際に立つ人が気になり眼を遣っているのか、なんとなくミステリアスな視線がヒッポホップなG線上のアリアとマッチしたのかもしれない。暫くはポストカードと共にBGMとして楽しむことにした。飽きてきたら、「レースを編む女」に似合うBGM探しでもしてみようかと思う。だから音楽遊びは愉しいのである。旅のアルバムを紐解いたり、思い出の写真を見ながら音楽を聴きながら・・・昔々を懐かしむことは高齢者にとって認知症の発症や進行を遅延させる格好の遊び道具であり身近にあるアイテムだと内門先生が私のラジオ番組で語ってくれた。