昔々の話で恐縮ですが・・1966年(昭41年)の8月29日から4週間間かけてロ-マからロンドンまで8カ国13都市を巡るため羽田国際空港を旅立った。58年も前のことである。
1964年に海外旅行が自由化されたが1ドル360円で外貨持ち出しは500ドルが限度という時代だった。バンコック~カラチを経由してロ-マのレオナルド・ダヴィンチ国際空港まで南回りで約18時間のフライトだった。外国旅行は夢にも出てこない時代に最初の訪問国がイタリア。タラップを降りてローマの地を踏んだ時の何ともいいようのない不思議な感覚は今も鮮明に覚えている。空港からバスで向かった先は、ローマ市の中心から離れた丘の上にそびえ建っている「ガバリエル ヒルトン ホテル」外国で初めて泊まるホテルである。エスカレータを上がると、ドメニコ・モドゥーニョの歌で知られている「ボラーレ」が聞こえてきた。フロントに向かう途中のラウンジでイタリア人らしきバンドが演奏していたのである。しばし立ち止まって演奏を聴いていたが、自分は今カンツォーネの国イタリアにいるのだ!ローマにいるのだ❣と心の中で叫んでいた。今もボラーレを耳にすると58年前のシーンが浮かんでくる。
当時担当していた雑誌社が1964年の自由化とともにパック旅行の商品として翌年に「ジャルパック」が発売され海外旅行に火がつき始めたタイミングに合わせて、海外旅行に関した特集企画のプロジェクトに便乗する形でヨ-ロッパ各地を巡りながら、その体験を旅行記として寄稿するというのがこの旅の主目的であった。
語学は勿論の事外国旅行経験もなく予備知識もないままに好奇心と野次馬根性に加えて怖いもの知らずの無手勝流欧州の旅だった。
ロ-マを起点に、フローレンス・ベニス・ポンペイ・ミラノ・ニースを、イタリアの高速道路「アウトストラーダ デル ソーレ」を憧れの車ミニクーパーで周りながらトリノ市を経由して山岳道を211キロ北上という強行軍。アルプス山脈を右手にマッターホルンやユングフローの名峰を車窓から望みながら、標高4807mのモンブランの真下を新開通したトンネル道路を走り9時間かけてシャモニー(フランス領)へ入った。旅をして10日目だった。シャモニー(CHAMONIX)はフランスのアルプスにあり、シャモニーの駅周辺は軽井沢に似ているように感じたが軽井沢がまねをしたのかもしれない。
シャモニーの中心部にあるサヴォア風の別荘スタイルの「Des Etrangers Hotel」にチェックインした時は17時頃だった。シャワーを浴びてホテル周辺を散策しながら、スーベニールショップなどを見て歩いたが日本人観光客を見かけることは無かったが、店の入り口に「日本語通じます・日本人歓迎」と書かれた張り紙があり、既に日本人観光客が来ていることを物語っていた。シャモニーのメインストリートであるJ・ヴァロー通りとパカール通りの両側には、ハムやソーセージの店・スポーツショップ・スキーウエアなどのファションブティック・貴金属店・ナイフショップ・チョコレート店・カフェテリア・お土産店など、お洒落な店が並びセレブな観光地の様相を呈していた。
一人旅の気楽さと物足りなさを感じながらこじんまりしたサヴォア料理を食べさせるレストランにぶらっと入った。晩飯である。シャモニーはフランスのサヴォア地方にあり地元の味を堪能していた。気の良さそうな店主が、貴方は日本人で一人か?と話しかけてきた。そうだと答えると店の奥まったところに一人で食事をしている女性の方に目をやって、あの女性も日本人で一人だから一緒に食事を楽しんだらどうかと聞いてきたのである。店内には、アメリカ人の熟年カップルが3組と、フランス人の4人グループがテーブルを囲んで華やいだ雰囲気をかもし出していた。冴えない男の一人旅の姿を見て可哀想に思ったのかも知れまい。一人飯の物足りなさを感じていたのでありがたいアドバイスにOKだとうなずいたところ、女性のテーブルに行き何事か話して私のテーブルへ連れてきたのである。サヴォアのワインをプレゼントするから二人で楽しめと言って席を離れた。プレゼントされたワインがグラスに注がれたのをきっかけに言葉を交わしたのである。彼女にも同じことを話したのだそうだ。
店主の粋は配慮でこれも袖すりあう旅の縁ということから自己紹介をしながらこれからの旅の予定や面白さなどに話しながら食事が進んだ。彼女は商社勤めのOLを辞めて一念発起して欧州をめぐる気ままなの旅を楽しんでいるとのことだった。店主がなぜ二人に声をかけたのだろうと話しながら、旅の話題は尽きることなく店主の粋な計らいに感謝をしながら素敵な時間をすごしていた。テーブルに奮発したチップを置き、店主には、浮世絵の記念切手1シートを渡してレストランを後にした。
レストランに入ったときからなんとなく気になっていたのがビートルズのイエスタディがBGMで流れていたことであった。そのことを話したら私もなんとなく素敵だな~!と気になっていたそうである。J・ヴァロア通りを歩いていたときもどこからともなく聞こえてきた。シャモニーの小さなレストランでの不思議な出会いとビートルズのイエスタディが実に印象的であった。
外はまだ明るい。音楽話をしながらJ・ヴァロア通りをぶらぶらしていたらカジノの入り口のサインが目についたので引き寄せられるように中へ入ると、フロントでパスポートを提示し、なにがしかの金を払うとカジノの会員カードを発行してくれた。カフェのようなホールへ入るとステージで4人グループのバンドが演奏していた。ステージに近いテーブルに座り不思議な出会いにチンザノで乾杯!突然ステージから私たちに向かって日本人?と聞いて来た。イエス!と返事をしたら、上を向いて歩こう~sukiyakiを演奏してくれた。粋なウエルカムミュージックに感激ひとしおだったことが思いだされる。
翌日には、同じレストランで朝食を取りモンブランを実感できる3880mの展望台へ行くことを約束してそれぞれのホテルへと向かった。ボラーレを聴くとガバリエル・ヒルトンホテルのラウンジが、イエスタディを聴くとサヴォア料理が目に浮かぶ。スキヤキを聴くとカジノのホールが・・音楽は見事にその時その時の記憶を呼び戻してくれる。まだまだ始まったばかりのヨーロッパの旅で、新たな粋な出会いに思いをはせながら眠りについたことが昨日のように想いだされる。彼女とのその後?言わぬが花ですね。
認知症の発症や進行を遅らせる対策の一つとして「回想法」が注目されているまさに音楽というツールは便利な遊び道具でありは高齢者に取って副作用のない青春回想のサプリメントだと改めて実感しているである。