“何は無くともハーモニカ!心の窓を開いてくれる”
50年も前の事だけれど、7月の或日ベニスを訪れていた。
ベニスと云えば、イタリアがロケ地で1955年の映画「旅情」は、ヴェニス(ヴェネツィア)が舞台で主人公のキャサリン・ヘップバーンが一人旅をする中、現地の中年紳士とかりそめの恋に落ちるという切ない物語の映画。劇中の数々の名場面に流れる主題曲「ヴェニスの夏の日(Summertime in Venice)」の 爽やかなストリングスによるメロディに心ときめいたことが思いだされる。
そこで、CDラックから引っ張り出した「ヴェニスの夏の日(Summertime in Venice)」を聴きながら話を進めよう。パリやローマと同様にベニスは憧れの都で、当時の心のトキメキは今も鮮明に残っている。
運河のゴンドラクルーズでは、ゴンドリエ(ゴンドラの船頭)のオーロレミオに感激。お決まりの観光コースを巡りながら、ベネチアングラスの小さなブローチを土産に買った。土産物屋を覗きながらたどり着いたのがサンマルコ寺院の前にあるサン・マルコ広場の大きなカフェテラスであった。
エスプレッソを飲みながら運河巡りの余韻に浸っていた。私が座ったテーブルの前にある大きなステージでは、8人のヴァイオリン弾きがおなじみのカンツォーネやスクリーンミュージックを演奏していた。生演奏に浸りながらローマの休日ならぬ、ベニスの休日を堪能していた。3~4曲の演奏が終わって、髭もじゃのリーダーらしきヴァイオリン弾きが客席に向かって話し掛けながら私と目が合いウインクしてきた。
たぶんチップを要求しているのだと思って、おもわず立ち上がりポケットからリラ(Lire)の紙幣を2枚取り出しバイオリン弾きに向かって差し出した。少し驚いた表情をしたがにっこり笑って、グラッツィエ!と云った。彼が英語で日本人かと聞いたのでイエスと答えたらチップの効き目か、“さくらさくら”の演奏を始めたのである。“さくらさくら”が終わると私にステージに上がって来いと手招きされた。
もじもじしていたら近くに陣取っていたアメリカ人らしき観光客の一行がステージに上がれと拍手であおられてしまった。日本男児だ度胸一発!勢いつけてステージに上がったら髭もじゃのバンマスが、“スキヤキ”歌えるだろうと聞いて来たのでイエスといったところ、俺たちが“スキヤキ”を演奏するからお前が歌えといってきたのである。当然客席からはこのハプニングに対してあちらこちら拍手が聞こえてきた。演奏が始まり前奏が終わると唄えというキューが来た。ワンコーラスを歌い終わってすぐポケットから、わずか6センチしかないミニサイズのハーモニカを取り出し、マイクに近づけて思い切りメロディーを吹いたのである。ヴァイオリン弾きはもちろん、客席の観光客も一瞬驚いた表情をしながら耳を凝らしていた。
想い出のサンマルコ広場のカフェテラス
演奏が終わると最初はパラパラだった拍手が大きな拍手に変っていた。数人の観光客が私のテーブルへブラボーといってビールを持ってきた。
彼らの演奏が終わったので、席を立とうとしていたら、髭もじゃとその仲間がビールを持って私の席の方に向かってきた。予想外のチップが嬉しかったのか、音楽が話題となって暫し音楽談義。ミニハーモニカが珍しかったのか代わる代わる手に取って喜んでいたのが面白かった。音楽は言葉の壁を超える!ベニスの空気に溶け込んだような気がしたひと時であった。
1966年の9月に1$360円で、外貨持ち出し限度が500ドルという時代に体験した旅行の余韻から覚めると何かもうひとつ物足りなさを感じていた。片言の英語を屈指しての都市巡りや観光地巡り、土産物店でのコミュニケーションは無手勝流でそれなりにこなしはしが、訪れた国々の人々と一歩踏み込んだふれあいが無かった事であった。語学力の無さを補う旅の小道具があればふれあいの突破口になるのではと思いながら「旅の相棒~コミュニケーションツール」を考えていた時、フト頭に浮かんだのが「ハーモニカと花札」であった。ハーモニカに着眼したのは、メロディーを知っているポピュラーミュージックなら吹くことが出来る。小さなハーモニカにしたのは、多少下手でも相手に与える意外性と面白さをアピールする事が出来ると考えたからである。
訪れる国の言葉は喋れなくても音楽は共通の言語。例え現地の言葉で歌えなくても訪れた国のポピュラーな曲ならメロディーを吹く事はたやすい。音楽さえあれば片言の単語会話だけでも心が通じ合うものがあると気が付いたのである。「SUKIYAKI~上を向いて歩こう」「さくらさくら」は世界共通の言語の様な存在でこれを小さなハーモニカで吹くと、その意外性が大受けし親しみを感じてくれるので胸襟を開いてくれる。触れ合い一歩前進という訳だ。
6センチのミニハーモニカ&花札
四季を表現している48枚の花札はミステリアスな遊び道具
「花札」といってもピンとこない人が多いとは思うが、花札の歴史は古く安土・桃山時代に始まり、江戸時代中期には現在使用している花札ができたといわれ、日本の伝統的な遊び道具である。まさに日本独自のゲームカードと云えよう。
雪深い北海道で過ごしていた小学生の頃は、花札やトランプでババ抜きや神経衰弱などで遊んでいた記憶があるが、花札本来の遊びを知ったのは大学生時代に、ジャズバンド活動?をしていた頃で、キャバレーやクラブの楽屋で休憩中のお姉さま達やプロのミュージシャンなどに教わって「こいこい」で遊んでいたことがあった。
「花札」を旅の小道具に選んだ理由は日本の伝統的な遊具であり、外国人にとって珍しくてミステリアスな東洋文化を感じさせるゲームカード。我が家にホームステイしたフランス人は、トランプは上手にシャッフルできるが、花札はトランプのように扱う事が下手。私が花札をシャッフルして見せるとまるでマジシャンの手元を見ているような視線を感じた。
ある時、宿泊しているホテルのバーでバーテンダーと顔なじみになったこともあって、「花札」を取り出して云った。これは、「Japanese Tarot Cards」と云って君を占ってあげるよ!と云いながらケースから取り出してシャッフルすると興味津々。相手にカードを渡すとトランプのようにシャッフルが出来ない。花札を使って遊ぶ、「在津流の花札を占い!」という訳だ。神社の御籤と同じように好きなところから花札のカードを一枚引かせて、引いたカードの絵柄の種類によって、ラキービッグ・ラッキースモール・ラッキー・アンラッキービッグ・アンラッキー。占うテーマは、健康・恋愛・金銭運・性格・将来これらをアドリブで表現する。適当といえば実に適当ではあるが、夜遊びの話のネタは世界共通なので知っている単語を屈指して面白く伝えながら笑いあえるのである。例えば、豪華な桜の花札を引いた時は、「ラキービッグ」明日大金が入る。今夜は早く帰って寝なさい!てな感じで遊んだのである。この作戦で何人もの友達が出来た。
ハーモニカ作戦のエピソードを一つだけ紹介しよう。既に廃業となっているが、パリのシャンソニエとして有名だった「ガボーデ・ズーブリエット」でも役に立った。リクエストを求められたのでハーモニカを掲げて吹くまねをしたところステージに来いと手招きをされた。どんな曲が演奏できるのか?と、聞かれたので「オー・シャンゼリーゼ」と答えるとOK!ハーモニカとアコーディオンの共演が実現したのである。この時に撮られた私の写真がステージ横の壁に、有名な音楽家の写真に紛れ込んで貼ってあったそうである。
自分なりの旅の相棒を見つけて一歩踏み込むきっかけが出来れば、後は気持ひとつで自由自在。私にとって「ハーモニカと花札」は最高の自己演出や、心の窓を開け易くさせてくれる遊び道具。これからも使い続けたいと思っている。
(注)ハーモニカは、6センチのミニと15センチの2種類を何時もバックに。