音楽は不思議なパワーを持っているNo.8 〜カマロと消しゴムとゴスペルと〜
2024年10月5日
執筆者: 在津 紀元

「湯川です!こんな遅くにごめんなさい・・・」

「消しゴムコンサート」のスペシャルゲストとして招聘したゴスペルグループ“ザ・ニューヨーク・リーチアンサンブル”を迎えるためにマイクロバスを先導し、愛車シボレーカマロを駆って成田空港へ向かった。1995年11月末の事である。「消しゴムコンサート」について説明しておこう。
このコンサートは、友人で、音楽評論家 作詞家の湯川れい子さんが地球環境に愛をという願いを込め10年間に渡って開催した独自のコンサート。
あらゆる生命の母体である美しい地球を守るために、この世から消えてほしいことを、ひとりひとりが意識の消しゴムでゴシゴシ消して行こう、という呼びかけでスタートした音楽イベントで、湯川れい子を冠としたのが「湯川れい子の消しゴムコンサート」である。1987年8月7日に外国人記者クラブで「オノ・ヨーコ」さんと記者発表を行い大きな話題となった。
翌日の8月8日に第一回目をラフォーレ原宿でキックオフコンサート。翌年8月8日は「生まれてくる子供たちのために」をテーマに、母子手帳協会の協力を得て、お腹の大きな妊婦さんとご主人のカップル千組二千人を日比谷公会堂にご招待。食物に入っている有害添加物などのお話と喜多郎さんの単独のライブで大盛況!幸先の良いスタートを切った。


地球環境保護を訴える先駆け的な活動として注目を集め話題となった。
1996年11月20日に、有楽町の朝日マリオンホールで開催した第10回目「湯川れい子の消しゴムコンサート」がファイナル。参加延べ人数約1万人を動員し10年間の幕を閉じたのである。
1987年6月のある日、深夜に電話が鳴った。
「湯川です。こんな夜にごめんなさいね。実は、コンサートを企画し会場も出演者もキープしたのだけれど、ここから先は在津さんお願い~プロデュースして!詳しく説明するので明日会えない?」当時の赤坂山王にあるヒルトンホテルで会う約束をして電話を切った。
翌日にコンサートの趣旨を聞いて、1996年までの10年間10回開催までの総合ロデュースを手懸けることを即決したのである。仕事は実に多岐にわたっていた。会場のキープ。出演者の交渉・協賛&協力者との折衝や動員の為のPR・リハーサル~演出。本業の傍ら、助手のK君。留学から帰ってきた息子を通訳兼アシスタントに起用し三人四脚で奮闘の連続だった。

・・シボレーカマロを駆ってゴスペルを迎えに・・

成田空港へ迎えに行った“ザ・ニューヨーク・リーチアンサンブル”は、ニューヨークで2400回以上も公演されたゴスペルミュージカルの最高傑作である「Mama I Want To Sings」のメンバーの中から、リチャード・ハードリーをメインとするピップアップメンバーである。彼らを招聘できたのは「Mama I Want To Sings」の原作者でありプロデューサーそして、日本にゴスペル文化を紹介した「バイ・ヒギンセン」さんと湯川さんが大変親し関係から友情出演を快諾されニューヨークからやってきたのである。
彼らを成田空港でピックアップし東京プリンスホテルでチェックインを見届け、滞在中のスケジュールを伝える事も私の仕事。彼らを到着ロビーから車寄せへ誘導すると、バスの前に止めてあるシボレーカマロを見て、メンバーの一人が「スゲーな!こんなところにキャマ~ロがあるぜ!誰が乗ってるんだ、と叫んだ」ウインクすると「なに!Mrの車?」と驚き、バスから二人が降りて乗っていいかと聞きながら乗り込んでしまった。
これをかけてと手渡されたCDをデッキに入れてボリュームガンガン!東京プリンスホテルに向けて思いっきりアクセルを踏み快走・・・。

メンバーがカマロに持ち込んでガンガン聴いたCD

ホテルに着くと、日本でキャマ~ロに乗れるなんて最高だぜ!と喜んで握手を求めてきた。彼らが出演したのは1995年12月6日の品川のコンサートホールで開催した9回目のコンサートであった。2時間を越える本物のステージは観客を魅了し興奮のるつぼ。終演になっても暫くは誰ひとり席を立たなかった。
改めて心を震わせる本物の魂の叫びのすごさを実感した。そのヒミツは彼ら、特に女性のメリハリの利いたダイナマイトボディにあった。大地のエネルギーを彼女たちの見事なヒップが受け止め、圧倒される胸で増幅されたエネルギーが魂の歌となって表現されるのだから聞く人の心に深く沁みるのは至極当然のこと。これこそがゴスペルの真髄だと改めて実感した。
コンサート終了から数日後、バイ・ヒギンセンさんを懇意にいていた銀座の旧電通通りにあった和食の「伽羅」へ招待し食事を楽しんでいた。店のスタッフ達が私たちの席をちらちら見ながらなにやら話しているのが気になり席を立った。すると支配人がすごいですね、ご一緒の外人はもしかしたら天使のラブソングの “ウーピー・ゴールドバーグ”さんでしょう?と聞いてきた。そういわれてみると良く似ている。席に戻り、支配人がバイさんを見てウーピー・ゴールドバーグだと思っているようだよと話したところ、面白わね!今夜はウーピー・ゴールドバーグでOKよといって笑った。
サインするから色紙をと伝えると、緊張しながら色紙を差しだした。彼女は、ウーピー・ゴールドバーグになり切って「有難う!食事も美味しく銀座の夜を楽しんでいます。素敵なお店に乾杯!そんな意味のことをさらさらと書いた。ゴールドバーグではなく、バイ・ヒギンセンとサインしていたが、支配人は信じきってサインのお礼だといってお店自慢のワインを届けてくれた。ユーモアの分かるバイさんとの寛いだひと時に大満足。席を立つと支配人やスタッフが整列してのお見送り。バイさんとニヤニヤしながら店を出た。
ゴスペル話の締めに、私とご縁のあるゴスペルシンガーのおすすめ作品(CD)を紹介しょう。日本のゴスペル界の母「亀淵友香」さんの「古稀~modernism」。聞く人の心を温かくする「戸坂純子」さんの「美しい世界2~Your Songs」音楽は心を優しく包み込む、心のビタミン&エネルギーですね!

執筆者プロフィール
在津 紀元 Kigen Zaitsu
1964年東洋大学社会学部卒業と同時にコピーライターとして広告界へ。
マーケティング&クリエイティブ会社を立ち上げマーケティング戦略企画やイベントの企画構成演出を多岐にわたって手がける傍ら、専門学校の常勤講師や大学等で講義や講演、執筆活動などコミュニケーションマルチプレイヤーも70歳で現役を終えた。
現在は、情報発信を続けることで様々な刺激を受けながら雑文の執筆や、忘れたころに依頼される時々の講演や、レディオ湘南で毎週日曜日の『ざいつきげんの音楽鍋』のマイクに向かっている。
ミニFM局時代が13年。レディオ湘南で26年。通算すると地元でマイクに向かって39年。伝説のDJと云われている由縁である。

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